近世城郭御殿の最高傑作
徳川家康の命によって建てられた、尾張徳川家の城・名古屋城。その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成しました。御殿の内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近 世城郭御殿の最高傑作とたたえられるほどでした。
(名古屋城公式ホームページ 引用)
■名古屋城の生い立ち
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は1609年豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清須から新城下への街丸ごとの引っ越しを決定。この新たに作られた基盤割のまちが現在の名古屋の原型となり、街や橋の名前も受け継がれています。慶長15年名古屋城の築城に当たって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に土木工事を命じました。終わり初代藩主として家康の九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
■現在の天守閣
名古屋城は昭和5年、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、昭和20年の名古屋空襲により本丸のほとんどを消失しました。しかし名古屋のシンボルとして天守の再建を望む市民の声は日に日に高まり昭和34年ついに天守が再建されました。再建された鉄骨鉄筋コンクリート造の天守は、その外観は昭和実測図に基づき正確に再現されましたが、内部は消失を免れた本丸御殿障壁画(重要文化財)や武具や絵画を展示し、名古屋城の歴史を市民に紹介する博物館としての機能を果たしました。耐震性が低いことに対応するため、天守閣を閉館しました。
■施設内の見どころ
①石垣の刻印
城内の石垣には多種多様の記号を刻んだ石があります。これは石垣の築造を命じられた諸大名が、他大名の石と区別するために刻んだ「目印」です。
②表書院の座敷飾
格式を重んじる表書院の上段の間です。華麗な花鳥画や床、清楼棚、付書院、帳台講があるほか、天井は織り上げ小組格天井として威厳を示しています。
③対面所上段の間
上段の間には京都の風景が描かれており、藩主の私的な対面の場に相応しい、落ち着いた空間が広がっています。
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(名古屋城公式ホームページより)