佐倉藩士 最後の邸宅
「旧堀田邸」は、最後の佐倉藩主であった堀田正倫(ほったまさとも)が、明治23年(1890)に旧領である佐倉に設けた邸宅・庭園です。伝統的な和風様式で建築され、平成18年には国の重要文化財に指定されています。
■堀田正倫
幕末、蘭学を奨励し、開国に尽力した老中、正睦の嫡出で最後の佐倉藩主。1871年の廃藩置県により、佐倉を離れ東京に移住し華族として天皇に仕えました。1887年に宮内省より華族の地方移住が認可されると、旧領地の佐倉に戻る、国の基となる農業、教育の振興に尽くすことを決意しました。佐倉に邸宅を構え、その周辺に堀田家農事試験場を1890年に作りました。この試験場は、明治時代の千葉県を代表する農業研究機関です。また学問のための奨学会を作り、当時の佐倉中学校への多額の寄付等も行いました。さらに佐倉の人々とも盛んに交流を深め、明治時代にあっても佐倉の地域の象徴的存在として親しまれました。
■施設特色
旧堀田邸は、堀田正倫の邸宅として1890年に竣工しました。1910年には湯殿が増築され、現在は主屋や門番所、土蔵などの建物と庭園が残されています。主屋は、木造平屋建5棟で構成され、伝統的な和風様式で建築されています。現存する、明治期の旧大名家の邸宅として全国的にも数の少ない貴重な事例で、2006年には建物が国の重要文化財にも指定されました。
■邸宅【旧堀田家住宅】(国 重要文化財)
邸宅部分の玄関棟・座敷棟・居間棟・書斎棟・湯殿及び土蔵、門番所の7棟が「旧堀田家住宅」として平成18年7月5日に国の重要文化財(建造物)に指定されています。
旧堀田邸の主屋は、身分や格式を意識した作りとなっています。家の出入り口は現在3箇所ありますが、それぞれの出入りする時期や人の違いによって、使い分けがなされました・トイレもほぼ各部屋の床の間の後ろごとにあり、部屋ごとに使い分けられていたと言えるでしょう。
現在、玄関棟・座敷棟・居間棟1階・湯殿及び庭園を一般公開しております。書斎棟・居間棟2階・門番所は、年数回特別公開日に見学いただけます。
■庭園【旧堀田正倫庭園】(国 名勝)
庭園は、眼下の高崎川や対岸台地を借景年、芝を中心にマツやサルスベリなどの樹木と景石や灯篭が配されています。庭園の設計は、東京巣鴨の植木職・伊藤彦右衛門によるもので、庭園の当初の姿や利用の変遷を把握することができる史料が多数残されています。これらの点が評価され、2015年には国の名勝に指定されました。
■動画コンテンツも公開!
(佐倉市公式ホームページ 引用)
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武士の生活を偲ぶ。【佐倉武家屋敷】
佐倉武家屋敷は宮小路町に保存され、城下町佐倉の面影をいまに残す土塁と生垣の通りに面して、「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」の3棟の武家屋敷が現在公開されています。 公開されている3棟の武家屋敷からは、当時の武士の生活を偲ぶことができます。佐倉城のあったこの町には、江戸時代には多くの武家屋敷が立ち並んでいました。廃藩置県以降は、城跡に陸軍の兵営が設置され、武家屋敷はそのまま軍人屋敷として転用されました。
年に5回行われる特別公開では、旧堀田邸と桜の武家屋敷も通常非公開としているところを公開します。
(佐倉市観光協会公式HP 引用)