高梁市成羽美術館所蔵 児島虎次郎名品展「竜跳虎臥-光を追う画家 児島虎次郎-」と常設展「成羽の植物化石」
■収蔵品展について
本展では、東京美術学校に学んだ初期作品からベルギー留学時代の作をはじめ、帰国後倉敷酒津に住んで画業に邁進した作品、更には日本文化の源流を求めて中国や朝鮮に度々足を運びその文化風俗を描いた作品など、それぞれの時代の代表作40点の展示がされております。
■成羽の植物化石について
成羽地域からは、三畳紀後期の植物の化石が産出します。
三畳紀末の2億3000万年前、成羽地域はユーラシア大陸の東縁に位置し、当時そこには巨大な森が発達し、多種多様な植物が生息していました。シダ、トクサ、ソテツ、イチョウなどが生い茂る様子は、現代の森とは全く異なる風景だったはずです。
その後森の植物たちは、日本最古の森林の植物化石として保存され、現在、成羽地域から110種あまりが発見されています。特筆すべきは、その1/3以上にあたる約40種が新種であることです。ナリワエンシス、ナリウェンシスなど、成羽にちなんだ名前がつけられた化石もあります。これほど新種化石が多産する地域は世界でも大変珍しく、「NARIWA Flora(成羽フローラ)」として世界に広く知られています。成羽の植物化石は他に類をみない、貴重な化石群なのです。
■児島 虎次郎(1881〜1929)について
岡山県川上郡下原村(現・高梁市成羽町)生まれ。
虎次郎は、小さな頃から絵が上手で周囲を驚かせていました。明治34年(1901)、本格的な絵画修業のため上京し、翌年東京美術学校(現在の東京芸術大学)に入学。そこで黒田清輝、藤島武二から指導を受けました。成績優秀により飛び級となり2年で卒業。引き続き同校研究科で絵の勉強に励みました。
明治40年(1907)の東京府主催勧業博覧会美術展では、≪なさけの庭≫が一等賞を受け一躍名声を上げます。この事を喜んだ支援者 大原孫三郎のすすめにより、虎次郎は翌年から5年間、油絵の本場ヨーロッパに留学することになりました。
当初フランスで独学を試みましたが、明治42年(1909)、ベルギーのゲント美術アカデミーに入学、エミール・クラウスらに師事しベルギー印象派の画風を学びます。明治45年(1912)同アカデミーを首席で卒業後帰国。郷里岡山の倉敷市酒津にアトリエをかまえて制作に専念しました。大正8年(1919)には東京・大阪で個展を開催。また中国、朝鮮半島にも旅し見聞を広めます。
大正後期には、2回渡欧して「日本美術界の発展のために」と、大原美術館の基礎となる名画収集に尽力しました。
バーチャル成羽美術館
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高梁市成羽美術館
岡山県高梁市成羽町は、岡山県の西部にある緑豊かな町です。高梁市成羽美術館は、成羽町が生んだ洋画家 児島虎次郎の遺徳を顕彰するため、岡山県初の町立美術館として1953年(昭和28)に開館し、1994年(平成6)に3代目の建物が現在地に新築開館しました。
設計は 建築家 安藤忠雄氏。大名屋敷跡の石垣が残り、緑の急斜面が迫っている、自然と歴史を感じさせる場所に建てられた美術館は、児島虎次郎の顕彰活動とともに、地域への文化発信の機能をはたすため様々な活動を展開しています。